設備はTRIO(現KENWOOD)TS-120V 10w機、アンテナはホテルの2階からダブレットアンテナを階下へ向かって張った。
野外は一度丘の上での運用を試みた。電源は車のバッテリーから供給した。
CALLは短期なので、JA1CJA/H44の使用を運輸通信省の無線担当官から口頭で許可された。
一ヶ月以上になれば有料で H44**のCALLを発給するといっていた。
後刻担当官がホテルへやって来て設備を見ていった。
H44も独立3年目で人材不足、オーストラリア、英国からの助っ人外国人でまかなっている。従って、ハムは外国人が主。鰹漁で長期滞在の日本人ハムが一人おりました。(後に強盗に襲われ殺されたと聞きました。)
QSO出来たのは主に21MHz、日本側が3ele以上の局、10w局はかつかつ、スケジュールを組んでやっと交信した。
Total130局と交信した。
第二次大戦の際日本軍は、ガダルカナルで大敗した。ブラディーヒル(血塗られた丘)の記念碑、日本海軍の沈船、日本軍の飛行機の残骸などが当時はまだ残されていた。
2002年9月16日
JH3LSS/JA1CJA